きもち


恥ずかしくなるくらい、本当に簡単な
おせち料理とは言い難い料理なのだが...

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修業時代、11月から仕込みを始めるおせちに携わった。
その全てが手作りで、三の重、70品を数えた。

200組近く作った時には五日間徹夜と云う、信じがたい重労働であったので
自分で店を出した時には絶対作らないぞ
と固く心に誓ったものだ...

全て素材から造り出すのが板前だとの教えは、時に身を削るような仕事だが
何物にも代えがたい達成感がある。
それはしかし、自己満足の極みでもある。
集大成と云っても良いジコマンは所謂料理人の見栄や技術の押し売りにもなりかねない料理でもあるのだ。

こんなコトを書くと非難されるであろう。
だがボクの中で料理とは、食す相手がありきなもの
顔を見ながら、思い浮かべながら作り上げるものなので、
どうも知らぬ顔の相手には上手に作れない堅物の変わり者。

だからボクのおせちは贈り物でしかないのである...

師走の末まで忙しく働いていると、仕込みに時間が取れず
繁忙期の冷蔵庫はパンパン
一日で仕上げられないものを一日で仕上げるとこの程度の物しか作れない未熟者だから
集大成なんてとても云えない

色の配置や見栄えを無視して詰め込んだ重箱には芸術性のみじんも感じられぬが
少しばかりの想いが詰まっているのは確かだ。

昨今、プチケーキの様にパックに入ってるのを並べるだけのお重もあるとか...
それに一体ナニを求めているのだろう?
世の中、変わっちまったな...と独りゴチる

おせちはある程度保存がきかなければならないので味が濃くなるが
真っ先に手を付けて空になっちまえばいいのだから、箸が進む料理を詰め合わせれば良い

さて、ボクの料理は痛むのか、それとも元日に空になるのか。とても気になるところだ^^


おせち嫌いのボクがこの先はたして、納得するのを作る日が来るのか来ないのか




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好き勝手をやってきたこれまでの清算が付いて回った一年だったが
終わってみれば結構清々している自分がいる
母と祖母、親愛なる叔母を次いで亡くした一年でもあったので、痛みは増して激しかった

己を客観的に見ることの不器用さから、周りの友人の助言に助けられているボクは
とても幸せ者。
身に沁みる年であった

みんなありがとう。
来年もよろしくお付き合いくださいませ。
良いお年を迎えてくださいと心から思います。