親方の庖丁

先日 親方 から譲り受けた庖丁に砥ぎを入れる。
かつて、私が親方の下で修行をしていた頃から使っておられた業物である。

修行時代ほとんど 褒める ということがなかった親方だが
庖丁砥ぎだけは褒められた。
そのうちに親方の庖丁も任せられた。

職人は自分の庖丁を他人に触らせは (砥がせは) しないのだが
何故か私には砥ぎを任せた。

柳で一尺二寸ある。柳としては長すぎるので、あまり使われないが
親方は小さい体躯で、悠然と流れる水の如く使いこなしていた。
厚みもあり、一日使い続けるとかなりこたえる。

あわせ (鋼と軟鉄を張り合わせたもの) だが、
鋼がかなり硬質の物を使っていて
砥ぎにはかなりの時間を要する。

何年も使われずに、引退の時期の踏ん切りが主につくまで
鞘に納まっていた 魂 は
少しだけ錆が浮いていた。

誰にも邪魔されずに砥ぎたかったので、仕事を終えた深夜に独り砥ぎ始める。

中砥で砥ぎ始めると刃の面、全てに当たる
人によって庖丁の砥ぎ方の癖があり、
本人以外が砥ぐと、うまく当たらないのだが、
ピッタリ合った。
砥ぎの癖は同じなのだ。

Last Son

であるのだから...

何十年経っても直接叩き込まれた技術は変化などしないのであろう。
砥ぐうちに汗をかいてきた。
一本砥ぎ上げるのには小一時間掛かろうか
修行時代の出来事と教えを懐かしみながら魂を込めて砥ぐ。

どの庖丁も全て砥ぎ方が親方と同じだ。

親方は手放した訳ではなく
委ねたのだと感じとると、泣けてくる。


刃付けを見定める目が潤んでしょうがない。