『山修行』其の参
車止めから歩いて、山奥に分け入ってキャンプを張る ということは
釣りだけに関していえば
その日一番に渓流に足を踏み入れる
ということである
つまり、誰にも邪魔されず 渓魚を釣る事ができる
しかしボクらはそんな事はどうでもよかった
確かに、二番手より一番手の方が釣れる確率が高いのであるが
目覚めてすぐに濡れたウエットタイツや
湿ったネオプレーンソックスに足を通すよりも
ま、いいや と二度寝のウツロイに身を任してしまう方が気持ち良い
釣りは主たる目的なのだけれども
快適・放心・友人の顔と言葉・ゆったり流れる食事の時間
の方が大切だったりもする
釣った魚よりも、釣れなかった魚や
影だけ見た大魚
そんなのがボクらの心に焼き付くのである...
昨日かけそこなった大ヤマメの、反転した水中の煌きを
テントの中に差し込む木漏れ日と同化させ
まどろみ
ボクは陶酔する
それは、山々の稜線のフォルムだったり
木々や葉に透ける光の織り成すコントラストだったり
透明で豊潤な流れの 水の変化する姿だったり
蒼と黒と白、煌く星を持つ空だったり...
近い将来、消えてしまう可能性が高いこの
今ある自然
を脳裏に焼き付けねばならぬ
身体に沁み付けねばならぬのだ
何故なら、それがボクらの宝物だから