詫び
戦国時代に栄えた多数の刀鍛冶は
その多くが日本刀を鍛えるのを止め、別の刃物を打つようになった。
和庖丁もその一つゆえに様々な用途に合わせた形状と、地域ごとの違いをみせる。
私が板前の道を歩み始めた時 散々世話になった親方が引退した時に受け継いだ庖丁の一振り一振りはどれも無銘の業物。
硬質の鋼で鍛えられたそれらは
いつも私を見、叱咤と激励を飛ばし
手に取って振るうとそれは抜かぬ仕事をもたらす。
加える仕事を常に行え
と云う。
その精神の圧力という目に見えぬモノは ボクにとって実に心地良く心強い力だ。
加える仕事をしていると、教わった料理が跡形もなく変化しているように見えるだろうが、
その根本はあまりにも絶大な力と形で皮を剥かずとも中心に備わっているのだ…
師の仕事は庖丁を通し伝わって
つまりは同じ仕事を同じ庖丁で作り出している。
日本刀の刃は庖丁に生き続けている様に
精神も代を重ね生き続けるのであろう…
残念ながら我に弟子は居ぬ。
師から教え込まれた精神と技術は特殊な方法であったので、弟子になろうとする者に手足を取って…と思って実行するも、特異を受け入れた自分には通常の技術放出は出来なかった。
これからも同様であろう…
師に詫びに行かねばならぬまい…