焚火宴会人がゆく 桃源郷編 Ⅶ

シュラカップの中には
飴色とイワナの生命感が滲み出ている
琥珀の、濁ってはいるが、決して淀んではいない
鮮やかさはないが、鮮烈な液体
この香ばしさが何より 旨い と物語っている

ほれ、おまえも味わえ
これこそが骨酒
ココに来てコレを飲まんと シヌ ぞ
わしが渓に通って、怪我せんのも コノ薬のおかげぢゃ
共に飲もうぞ
師 仙庵は、いかにも美味そうに杯をかさねる
継ぎ足し、継ぎ足し、重ねてゆく


この釣行の数週間前、師は一時の病にかかった・・・
病といっても、一過性のストレスからくる 記憶喪失 のようなものだが・・・
上司に無理やり連れて行かれた 接待ゴルフ
その夜、私にめずらしく愚痴る

嫌いなゴルフを接待で、もちろん嫌いだから練習などしない
あまりの下手さ加減に上司が怒る
ゴルフも満足に出来ないヤツは サラリーマン失格 だとぬかす

普段、温厚で 飄々とした師も、怒りと深酒で顔を赤くしていた

数日後の開店前・・・
師の同僚であり、飲み仲間の人が 私の店に現われた
師が 行方不明だという
郵便局へ行くといったきり、二日帰ってこないという

急ぎ、部屋を開けてもらい、手掛かりを探してみる
乱雑で、特定の人種にしか解らない統一感を持った部屋には
60リットルザックがない
押入れからテントも消えている
シンクの中の飯盒もない
・・・と言っても、師は出張の度、営業車のトランクに詰め込んでいるから
普通といえば、普通だ
師は、出張費を浮かすために テントで寝泊りをする時が多いのだ

しかし、営業車には何も積んでいなかったと、同僚の人は言う
炬燵の焼酎の下に広げてある地図にも目を通したが
いつもの地図で、見当たらないものはないようだ

失踪か?遭難か?
嫌な事だけが頭をよぎる・・・

翌朝、心当たりの渓流に捜索しに出ようと思っていた矢先の夕刻
いつものように 暖簾をくぐり、師は帰ってきた
ただ、いつもと違うのは 服装...
スラックスに運動靴
渓流アウトドア用のジャケットに60リットルザック
スラックスと靴は土で僅かに汚れていた

同僚には、上司に腹が立った為の仕事放棄と言って返したが
二人っきりになると師は事情を話し始めた
まるっきり記憶がないらしい

気が付くとな、渓流にいたんぢゃ
コーヒー飲んでいたんぢゃ
飯も喰った後みたいでな、飯盒 空になって米粒付いていた
ゐっ!ホントに?
ホンマぢゃ
そんでな、ココはドコ?ってな、よーく見てみたんぢゃが
何処かわからんかった
で、
川伝いに歩ってみたところ、舗装道路に出た
そこをな、てくてく歩いとったら、バス停があってな
お金もソコソコあったから、バスに乗って帰ってきたんぢゃ
して、何処だったん?
それがな、行った事もない川でな・・・隣の県でな・・・

師は記憶が飛んだ昼に、隣の県の温泉宿に向かったらしい
ポケットから宿の領収書が出てきて一泊したとわかった
その後、渓流に入り、テントで一泊
釣竿は持って行かなかった
飯盒で炊いた飯は白米だけだったろうと言う

コーヒーで目が覚めたんぢゃ
…いや、頭が覚めたんぢゃ。きっと…

何にせよ、無事でよかった
MRIも撮らずに後を過ごしているが、大丈夫なのだろうか?
イワナの骨酒のおかげで、死なずにすんだに違いない

・・・テントの前の焚火
焚火の飴色のでかいイワナは、私達の歯形を付け
次第に骨だけになってゆく